『彼』の手が
私に向かって
一直線に伸びてきて
『彼』は俯いたまま
その手を開いて見せる。
傷口が3つ
ぱっくり開いていて
うちひとつは
口が開いたまま
血も出ていなかった。
血管がない部分を切っても
血は出ないんだって
生物の先生が言ってたっけ。
アタマが完全に
現実逃避を始めている。
「いっそ、死ねと言われた方が
楽だったかもしれない」
『彼』が
静かに自嘲した。
「絵を描かなきゃならない
大事な手でしょう!!」
私は必死で
自分を取り戻そうとする。
持っていた絆創膏で
とりあえず止血して
タオルで『彼』の手を包んだ。
「深く切れてるみたいだから
ホテルのヒトにきて貰うね!」
部屋の電話を手にした
私のヒザを
『彼』の舌が這う。
「ちょっと! 何するの!!」
「…血が出てるからさ」
『彼』の怪我に
気を取られていて
ガラスのカケラの上に
跪いてしまっていたコトに
私は全然
気づいていなかった。
「…ヤダ。やめてよ」
『彼』は私のヒザから
滴り落ちる血を
丹念に舐めている。
「私が何か悪い病気とか
持ってたら
タイヘンなコトになるよ」
「構わないよ」
口元を血で汚した
美しいバンパイア。
「むしろ
そんな死が選べたら
光栄なくらいだ」
そんなセリフを
さらりと言ってのける。
気がつけば
その後も
『彼』に乞われるまま
肌を合わせてしまっていて。
『彼』の激情に
流されている自分がいた。
ママに今夜もウソをつく。
親友の目を誤魔化しながら
今日も私は
『彼』の行為に
『彼』と過ごす時間に
非日常的な空間に
背徳を覚えながらも
溺れていった。